坂田育英会の給付型奨学金
対象者
筑豊地区の出身で、大学・大学院に進学または在学する優秀な学生で、経済的理由で修学が困難な人
※高校生まで筑豊地区に在住でそれを証明出来る住民票提出が可能であれば、入学後の転居・転出は問いません
※筑豊地区とは田川市・飯塚市・直方市・嘉麻市・宮若市・田川郡・鞍手郡・嘉穂郡の5市3郡
所得制限と成績制限
あり。ただし、具体的条件は明記なし
採用人数
大学生・大学院生 それぞれ5人程度
奨学金の金額と期間
月額3万円で、現に在学する正規の修業期間を終了するまでの最短期間
提出課題と受かるためのコツ
願書を提出します。願書では、家庭の経済的状況や奨学金を希望する理由を書きます。
希望する理由を書く時に、この奨学金の目的や経緯を認識することが重要です。この目的などに合致する希望理由を書きましょう。
この奨学金の目的や経緯は、公式サイトでは次のように説明されています。しっかり理解しましょう。
「設立時の坂田育英会の定款には「この法人は、福岡県内居住者の子弟にして高等学校卒業者の内、優秀な学生で、経済的理由により大学、大学院の修学困難な学生に対し奨学金を給付し、修学を助け、もって社会有用の人材を育成することを目的とする。」と謳われている。
創設者の坂田九十百(さかた つくも)は豪放磊落な人物として世に知られ「筑豊のドン」、「最後の川筋頭領」などの称号と共に、一地方都市の市長が国を相手に大喧嘩を仕掛けたと話題になった在日朝鮮人国籍書き換え問題などで世の注目を集めた名物市長であった。
坂田九十百自身は小学校卒業の学歴しかなく、炭鉱地域での荒くれ仕事を渡り歩きながらヤクザに成りきれず市長になってしまったと言う一風変わった経歴の持ち主でもある(参考文献1)。
しかし、市長になっての坂田は深い郷土愛に目覚め、閉山ラッシュで奈落の底に沈み込んでいくような田川市や筑豊地区を強引とも言われたつよい実行力で牽引し、何はともあれ市民のためにと飛び回る活躍を見せた。その当時の田川市の経済状況は破綻寸前で、北海道夕張市と同じようにいずれ経済倒産するのは確実な自治体に他ならなかった。
しかし、持ち前のユーモアと人懐っこい笑顔で中央の官僚から県職員などとも良好な関係を築き、その人脈を用いて数々の難問を乗り越えていき田川市を破綻から救った。前ページの「坂田九十百氏顕彰像」はその功績を称え有志の寄付により建立されたものであり、同時に田川市の初めての名誉市民となっている。(参考文献2)
しかし、種々の立場の人と接触が増えるにつれ小学校しか出ていないと言う学歴は坂田の唯一のコンプレックスであった。また市民の経済状況が厳しいことは重々承知をしており、そのために進学を諦める若者たちが沢山いることも憂いていた。
一方、坂田は金銭への執着が薄く、後藤寺本町にあった自宅も市長になる前からの芸者置屋を料亭に改築したままのものに最後まで住んでいた。その様な坂田が6期目で24年間勤めた市長職を退くことを決めた時には退職金と功労金を合わせた5300万円が支給されることとなった。
しかし坂田は退職する前年に長男である坂田富士哉を理事長として設立した坂田育英会に、あっさりと全額を寄付してしまった。長男や長女の熊手テルヨが出資した設立基金と坂田の退職金、後に妻坂田スミノが寄付を加えた総額一億円を原資として坂田育英会は奨学金支給事業を運営することとなった。
順調に滑り出した奨学金支給事業であったが、支給奨学金は原資の運用益を資金としていたため年々減少する利息により次第に資金不足となり、支給対象学生数を減らさなければならないようになり、年度によっては奨学生募集を中止せざるを得ない状況となった。
平成23年度に当時の理事長の坂田二郎より運営を任された、現在の理事長と理事会はこの厳しい運営状況に直面し、同時に法人法改正による新法人移行に対峙することとなった。新法人移行にあたっては法に則って組織を改編し、公益法人か一般法人に移行し再登記する必要があった。
それには移行のための費用が発生し同時に監督官庁との多岐にわたる折衝と認可を受けるための組織改革が必要であり、これを乗り越えることが出来な ければ解散せざるを得ない事態であった。
理事・監事などの役員の意見を聞きながら出した結論は永久的に活動を続けることが義務づけられた公益法人移行を止め、原資を切り崩しながら事業を継続し原資が底をついたところで法人解散を行う一般財団法人への移行を行うというものであった。
同時に、30年前より据え置いていた支給月額1万円は現在では経済的補助としては少ないのではとの思いで、月額2万円に増額した。また、より一層坂田の意思を具現化するため募集対象者を福岡県在住者より筑豊地区在住者へとの変更を行った。
今後、新体制発足時の試算では原資を使い果たすのは約19年後となり、奨学生募集はあと16年で終了となる予定である」。
参考文献1 「最後の川筋頭領 坂田九十百伝」 宮田 昭著 1987. 7 発行 葦書房
参考文献2 「炭鉱最後の田川市長 坂田九十百という男」 宮田 昭著 1009. 9 発行 書肆侃侃房
奨学金の応募書類作成のコツについて、よりくわしくはこちらのページへ。
応募方法と期間
2025年3月7日(金)〜4月15日(火)
まで、事務局に郵送して応募します。
〒818−0072
筑紫野市二日市中央5−17−8
一般財団法人 坂田育英会事務局 芳野定代
※この奨学金の募集は2025年度で最後です。
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